著者プロフィール

伏見百景 ロゴ1952年、京都市東山区に生まれる。
3歳の時、父親の勤務地近くの宇治市に転居し、24歳まで宇治市で暮らす。
高卒後、写真家を目指し2年間大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)の写真学科で学ぶ。
在学中、通学途上の伏見区大手筋の写真店でアルバイトを始め、1973年4月から正社員として勤務。
在職中、当時顧客様であった鳥羽離宮跡調査研究所所長杉山信三先生(近畿大学教授)や伏見城研究会との出会いで伏見の歴史の深さを教わる事に。
1977年結婚を機に妻の実家の家業を継ぐため止む無く退職。その後時代にそぐわない家業に終止符を打ち一般企業に転職するが、その後は新しい仕事優先で家族写真以外は写真を封印する中、定年を意識し始めた頃転機を迎えました。

頚部・腰部のヘルニアの為半年間休職。職場復帰を目指してリハビリ散歩を近所からスタート。
距離を少しづつ延ばすと行く先々で今まで見過ごしてきた伏見の歴史や伝統文化の生き証人達に出会うことになり、伏見城の外堀と宇治川に囲まれた城下町のたたずまい、水運で栄えた港町の名残りを見せる十石舟、酒どころ伏見を象徴する月桂冠大倉記念館周辺の賑わいや松本酒造の美しい酒蔵群、日本初のチンチン電車発祥の地を刻んだ石碑、平日でも名水に行列が出来る日常。なんだなんだこの町は。自分が仕事に出かけてる間にはお目に掛かる事が出来なかった光景は実に新鮮でした。
そして症状が軽減してきた頃は巷にデジタルカメラが普及し始めた頃で、散歩も同じようなコースを繰り返し退屈になってくると、眠っていたカメラ小僧の頭がもたげ出し、いつしかカメラ片手の散歩になっていました。

職場復帰後は休日限定の“日曜カメラマン”で過ごすなか、地元伏見で2006年度『We Love Fushimi 写真コンテスト』が開催されると迷わず応募。そして優秀賞をいただくと、伏見への思いが益々高まり、2007年7月遂に一眼レフを購入。始めてそのカメラのシャッターを切ったのが、写真集の表紙の長建寺弁天祭における『龍神降臨の柴燈大護摩供』の写真です。長建寺の山門を入るとすぐ左手に龍神大権現の祠があり、長建寺の弁天様は諸芸上達の神様、龍神様は蛇と同じく弁天さんのお使いと言われるので、その後もそのご利益に授かろうと毎年護摩供養の撮影に出かけると、幾度となく火炎の中に龍神様の姿が現れて、写真への熱意を高めてくれるので撮り続けると、そのお陰もあってか、2011年度迄行われた同コンテストでは5年間連続して特選を受賞する事が出来ました。
またこの間、2010年6月には郵便局株式会社近畿支社のオリジナルフレーム切手『龍馬が駆け抜けた町 京都・伏見』に2点の画像が採用されたが、他の画像の無断転用問題が生じて約2週間で販売が中止され、当時龍馬伝ブームのなかマニアからは希少な切手として大変惜しまれました。
2011年にはNPO法人フォトカルチャー倶楽部主催の全国公募『フォトブック甲子園』に応募し『大きく伸ばしても見栄えのする単写真力』の評価を受け、準特選『フォトブック大使賞』を受賞。
2012年定年を迎え延長雇用で勤務を続ける事になりましたが、1年半が過ぎる頃ヘルニアが再発。仕事帰りのリハビリ生活を続けましが中々改善しないため、定年後3年目終了時点で仕事にピリオドを打ちました。
その後も体調(腰痛と下肢のしびれ)と相談しながらの写真活動を続けるなか、当時はまだ誰も『鳥羽伏見の戦い(明治維新)150周年を口にする者がいなかった2017年、幕末維新の激動の地伏見に関心の目を向けて貰いたい思いで、伏見オンリーの『伏見百景写真展』を御香宮参集館で開催。3月の週末2日間だけではありましたが合計567名の方に来場いただき、今から振り返ると伏見への関心の高さにビックリした当時の記憶が甦ります。

それ以降、ご覧頂いた方からは2回目はいつ、見逃した方からは次は行くからと励まされると、自分の中ではその言葉にプレッシャーを感じつつ何かやり残し感が続くなか、京都市が観光客の周辺地域への分散化を提唱し始め、また2021年には伏見区が区制90周年を迎えることもあり、京都を訪れようとする人達の思いを伏見に誘導し、京都駅以南の伏見に関心の目を向けさせる切っ掛けになればとの思いと、次の時代を担う地元の子供達にもっと自分が暮らす町の素晴らしさを知って貰いたい思いが重なり、自分自身の集大成とも言うべき写真集『伏見百景』の刊行を思い立ち、2019年の正月から具体的な取組みを始め今日に至ります。
なお、刊行に至る思いは『刊行趣意書』に詳しく記しましたので、ご覧いただきますようお願い申し上げます。